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名古屋地方裁判所 平成7年(わ)669号 判決 1995年12月27日

主文

被告人を懲役一年に処する。

未決勾留日数中一五〇日を刑に算入する。

この裁判確定の日から三年間刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人山崎寿美に支給した分は被告人の負担とする。

本件公訴事実中恐喝の点については、被告人は無罪。

理由

(認定事実)

被告人は、平成五年四月一一日東京都内で交通事故を起こし、頚椎捻挫等の傷害を負ったことを奇貨として、右事故の相手方当事者の締結する自動車損害賠償責任保険の契約先である東京海上火災保険株式会社から休業補償金名下に金員を騙し取ろうと考え、当時東京都新宿区内において株式会社Aという名称で金融の斡旋等を行っていた乙山一男と共謀のうえ、真実は右株式会社Aで稼働していた事実がないのに、平成五年四月一日から同社営業部長として勤務しており、前記交通事故により同年四月一二日から同年五月三〇日まで四九日間欠勤したため、その間の給与二五万円の支給が受けられなかった旨虚偽の事実を記載をした休業損害証明書を作成し、これを他の自動車損害賠償責任保険金支払請求関係書類とともに平成六年二月二一日ころ静岡県富士市中央町一丁目一〇番地一七号所在東京海上富士ビル二階の前記保険株式会社富士損害サービスセンター宛に郵送提出して休業補償金の支払を請求し、同月二三日右サービスセンターを経由して右請求を受けた同県沼津市大手町二丁目四番五号所在の同保険株式会社静岡本部沼津損害サービス課課長岩井乙也をしてその旨誤信させ、休業補償金の支払を受けようとしたが、休業損害の証明に必要な書類が不足していたことなどから、休業損害額の算定に至らず、支払を受けられなかったため、その目的を遂げなかった。

(証拠)<省略>

(補足説明)

弁護人は、詐欺未遂被告事件につき、被告人が任意に保険金の請求を止めたものであり、中止犯が成立する旨主張するので、以下この点について若干の説明を加える。

前掲関係証拠によれば、<1>被告人は、休業補償金名下に金員を騙し取ろうと考え、平成六年二月二一日ころ判示のように虚偽の休業損害証明書を他の保険金支払請求関係書類とともに前記東京海上火災保険株式会社富士損害サービスセンター宛に郵送提出して休業補償金の支払を請求したこと、<2>同月二三日右サービスセンターを経由して右請求を受けた前記同保険株式会社静岡本部沼津損害サービス課では損害担当の山崎寿美(以下「山崎」という。)が右書類等の不備を検討したうえ、同年四月一八日自動車保険料算定会の沼津調査事務所に書類一式を送付したこと、右沼津損害サービス課では山崎一人が自賠責担当であること、<3>同年五月二五日被告人から沼津損害サービス課に連絡があり、被告人が山崎に対し、支払について問い合わせをした際、山崎は東京で調査中という返答をしたこと、<4>同年六月二三日右沼津調査事務所から沼津損害サービス課に調査結果についての回答があり、右報告結果によれば休業損害の公的所得証明の添付がなく、かつ株式会社Aとの連絡が取れなかったことから、休業損害金は認定されていなかったこと、<5>同月二七日山崎が被告人に電話し、右回答について説明した際、被告人にAから他の証明書を貰うことができるかと尋ねたところ、被告人は、会社が既に倒産しているので証明は貰えないので、年齢の平均給与で支払ってほしい旨申し向けたこと、<6>翌二八日山崎が沼津調査事務所に問い合わせたところ、職業証明書と事情説明書があれば再調査できるとの回答だったことから、同日山崎が被告人に連絡しその旨伝えたこと、<7>その後山崎は被告人宛に再度請求書類を送付したが、被告人からの返答はなかったこと、<8>翌二九日中京銀行上飯田支店の被告人名義の口座に休業損害金を除いた保険料三五万九二一二円が振り込まれたこと、以上の事実が認められる。

右認定事実によれば、被告人は山崎から現状のままでは休業補償金の支払ができない旨を聞いたものの、その際休業補償金の請求を取り止める意思を相手方に明確に伝えたとは認められず、更にその後被告人が保険会社に対して休業補償に関する取下げ依頼書等を提出した事実は認められないことなどに照らすと、刑法上の中止未遂が成立しないことは明らかというべきである。したがって、弁護人の主張は理由がなく、これを採用することができない。

(適用法条)

注・適用した刑法は、平成七年法律第九一号附則二条一項本文により、同法による改正前のものである。

罰条 刑法六〇条、二五〇条、二四六条一項

主刑 懲役一年

未決勾留日数 刑法二一条(一五〇日算入)

刑の執行猶予 刑法二五条一項(三年間猶予)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項本文(主文第四項のとおり負担)

(公訴棄却の申立てに対する判断)

弁護人は、<1>本件は、捜査機関が被告人が過去に暴力団員であったことから、一連のオウム真理教関連事件の中心人物であるなどと独断し、予断に基づく捜査を行った結果、微罪であるにもかかわらず、本件以外の容疑事実を捜査する目的をもって被告人の身柄を確保したいわゆる別件逮捕であるうえ、逮捕中長期間にわたり自白を強要されるなどしたものであって、違法な捜査に基づく公訴提起であるから、公訴提起自体無効であること、<2>本件恐喝事件及び詐欺未遂事件は、いずれも不起訴処分が相当の微罪事件であるにもかかわらず、被告人が元暴力団員という経歴を持ったオウム真理教信者であるという偏見に基づいて捜査を続けた結果、検察官は、その起訴裁量権を逸脱して公訴提起したものであって、本件各起訴は公訴権の濫用であり、違法であることなどを理由として、本件各公訴は棄却されるべきであると主張する。

しかしながら、嫌疑の存否は実体審理の問題であることに加え、検察官は現行法制の下では、公訴権を独占しており、かつ、起訴、不起訴について広範な裁量権を認められているのであって、この点からすると、公訴の提起そのものが職務犯罪を構成するような極限的な場合は格別、弁護人の主張するように、捜査手続に違法があるとか、事件の内容といったことから直ちに公訴の提起が手続に違反し無効であるなどということはできない。したがって、弁護人の主張は理由がなく、これを採用することができない。

(一部無罪の理由)

第一  無罪の認定をした公訴事実の要旨

被告人は、積水ハウス株式会社の二次下請けで、電気工事業を営業目的とする有限会社Bの代表取締役丙川三男(当時四六歳)に対し、積水ハウス株式会社から直接下請けできるようにしてやると持ちかけていたところ、不審を抱いた右丙川がこれを断ったことに因縁をつけ、金員を喝取しようと企て、平成六年一一月一七日午後一一時ころ、名古屋市内から、右丙川が山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺一一五三番地の二所在の第五サティアンと称する宗教法人オウム真理教教団施設に架電した際、右丙川に対し、「ばかやろう。何で逃げ回っているんだ。お前を探すのが大変だった。積水ハウスの話は、どうするんだ」、「お前を探すのに、取引先に電話した。取引先にお前を匿っていると仕事できんようにするぞ、とばっちりがいくぞと言ってやった」、「このままじゃ、ただしゃすまんぞ。金できるか。二〇万円でもいい」などと語気鋭く申し向けて金員を要求し、右要求に応じなければ、同人の身体等にいかなる危害をも加えかねない気勢を示して同人を畏怖させ、よって、同月一九日午後七時三〇分ころ、静岡県静岡市黒金町五六番地ホテルアソシア静岡ターミナル二階喫茶店「ちくめい」出入口付近において、同人から現金二〇万円の交付を受けてこれを喝取した。

第二  当裁判所の判断

一  はじめに

検察官は、要するに、被告人が平成六年一一月一七日午後一一時ころ丙川三男からかかってきた電話で話をした際、同人を脅迫して金員の交付を要求して二〇万円の支払を約束させ、その結果同月一九日午後七時三〇分ころ同人から二〇万円の交付を受けた旨主張している。

これに対し、弁護人は、被告人が丙川から二〇万円の交付を受けたことは間違いないが、被告人が丙川からかかってきた電話で話をした際同人を脅迫して金員を要求したことはない旨主張し、被告人も、捜査公判を通じ一貫して、弁護人の主張に沿う供述をしている。

二  前提となる事実

まず、被告人の公判供述、検察官調書<以下書証省略>によれば、次のような外形的事実が明らかである。すなわち、

1 被告人は、昭和四二年札幌市内の高校を卒業後、一九歳ころから暴力団とかかわりを持つようになり、いくつかの組を転々とした後の昭和五〇年ころ山口組菅谷組内清田会会長と知り合って清田会組員となり、昭和五十二、三年ころ清田会会長代行(平成元年ころ清田会を脱会)となった。被告人は、昭和五三年に結婚(昭和五七年に離婚)し、妻との間に四人の子供をもうけた。その後被告人は、昭和五九年九月銃砲刀剣類所持等取締法違反などの罪で服役し、昭和六二年二月出所したが、服役中にヨーガの本を読んでオウム神仙の会に興味を持ち、出所後の同年三月ころオウム神仙の会に入会し、平成二年三月二〇日にオウム真理教信者として正式に出家した。被告人は、同じころ出家した家族と共に教団施設内で生活しており、本件当時教団内では建設省といわれる部署に所属し、主に教団の土地、建物の取引に関する活動を行っていた。

丙川三男(以下「丙川」という。)は、昭和四十八、九年ころから名古屋市北区内でスナック六本木を経営し、昭和六十二、三年ころから個人で電気工事会社を始め、平成二年に有限会社B工事と組織変更して同社の代表取締役となった。B工事は、従業員数六名であり、積水ハウスの下請けをしている千代田電気から仕事を請け、主にマンションやパチンコ店などの電気工事、配線等を行っており、年間売上げは約五〇〇〇万円である。

2 被告人は、昭和四十八、九年ころ当時丙川が経営していたスナック六本木に客として行くようになって丙川と知り合い、昭和五十四、五年ころ被告人が本籍地で飲食店Pを経営するようになった後は互いの店に行き来するような関係になった。被告人は、昭和六二年二月に出所した後、本籍地でアンティック喫茶Sを経営するようになり、そのころから丙川とは次第に疎遠になったが、丙川が被告人の店で骨董品を買ったり、平成四年ころオウム真理教のイベントが催された時に被告人が丙川にチケット購入を依頼したこともあった。

3 被告人は、平成四、五年ころ、オウム真理教施設から脱走を繰り返す長男二郎と次男三郎の行動に頭を痛めており、平成五年六月ころ兄弟そろって脱走し、一年ほど行方が分からなかったことなどから、結局二人を施設外で働かせることにした。被告人は、丙川が被告人の本籍地近くで電気工事会社をしていることを思い出し、丙川の会社で子供らをアルバイトで雇ってもらおうと考え、平成六年九月末か一〇月初めころ丙川に電話で連絡を取って会う約束をした。被告人、丙川、二郎及び三郎らは、名古屋市北区にある焼肉屋大東苑で一緒に食事をしたが、その席で被告人は、丙川に子供らを会社で使ってもらえるように頼んだ。被告人がその食事の費用を支払った。

4 被告人らは、3の二、三日後再び大東苑で食事をし、その際右アルバイトの話とともに丙川の仕事の話になった。丙川は、B工事では積水ハウスの仕事が多く、いわゆる孫請けで仕事をしているが、直接の下請け(以下「直請け」という。)になったら今の倍以上儲かるなどと被告人に話したところ、被告人は、東京に知り合いがいるからコネがないか聞いてみるなどと答え、その場から丁野二男(以下「丁野」という。)に電話で連絡した。その際丙川も丁野と電話で話をし、直接丁野に積水ハウスの直請けになれるように仲介してほしい旨依頼した。その後被告人及び丙川は、積水ハウスの直請け話についての詳しい話をすることになり、数日後丁野を名古屋に呼んで直接話をすることにした。

ところで、丁野は、昭和四十四、五年ころ北海道で不動産関係の仕事をしていた被告人と知り合い、被告人とは兄弟分として付き合う関係であったが、被告人がオウム真理教に入信し、教団の土地、建物取引に関与するようになってからは、被告人から取引の仲介を依頼されるなどしていた。また、被告人は、平成五年夏ころ丁野に融資を頼まれ、手形を担保に二〇〇万円を貸し付けたが、結局手形は不渡りとなり、未だに丁野から二〇〇万円を返済してもらっていない。

5 被告人、丙川及び丁野は、平成六年一〇月二二日夜名古屋駅前の札幌かに本家において三郎を加えた四人で食事をした。この時丙川と丁野は初対面であった。丁野は、丙川に対し、直請けになるためには金がかかる、話をするのに会社の決算書、登記簿謄本等の書類が必要なのですぐにそろえてほしいなどと話し、更に、話がまとまったら被告人と丁野にお礼をすることなどを話した。丙川は、その食事の費用を支払ったうえ、帰り際丁野に東京までの帰りの新幹線代として三万円を渡した。

6 被告人、丙川及び丁野らは、同月三〇日夜積水ハウスの直請けの話をするため、名古屋市北区黒川にある焼肉屋「だるま」に集まり食事をした。その際丁野が丙川に直請けの工作資金として一〇〇万円くらい用意するように言ったところ、丙川は店を売れば金はできるなどと答え、丁野に自分で東京に行って相手方と直接会いたいと言ったものの、丁野はこれを拒んだうえ、更に丙川に対し、積水ハウスの株を持っていたほうが話がしやすい、一〇〇〇万円か二〇〇〇万円くらい用意して積水ハウスの株を買えるかなどと話した。食事の後被告人と丙川は近くのらうんじ友・誘・遊に飲みに行き、同店の支払は丙川がした。

7 丙川は、丁野に会社の決算書類の準備をするように言われていたものの、B工事では税金の申告はしていたが、帳簿類を一切つけていなかったうえ、当時税務署からの指導なども受けていたことから正式な決算書を作成できず、また、電気工事業の営業の直請けをするために必要とされている免許も持っていなかった。ただし、B工事の従業員の名義で免許を受けることもできる状況であった。

8 丙川は、積水ハウスの直請けに関する話を断ろうと考え、その旨被告人に連絡したところ、当時丁野が名古屋に来ていたことから、被告人、丙川及び丁野は再び前記だるまで会って話をすることになった。被告人、丙川及び丁野らは、同年一一月一〇日だるまで食事をし、この席で丙川は丁野に金も看板(直請けに必要な免許のこと)もできないので積水ハウスの直請けになる話は止めにしたいと申し出た。これに対し丁野は、そんなことは初めから言ってもらわなくては困るなどと言ったものの、皆で話をしているうちに、直請けについてははっきり止めにするという結論には至らなかった。この時の食事代は丙川が支払った。

9 8の後被告人は、積水ハウスの直請けの件や丙川の会社でアルバイトをしている子供のことについて話をするため、丙川と連絡を取ろうとしたところ、丙川が同月十二、三日ころから携帯電話の電源を切っていたため丙川と連絡を取ることができなくなった。そこで被告人は、丙川が現場に出掛けるときに会おうとしたり、現場に行く前に従業員らが立ち寄る喫茶店などに行き、従業員や子供に連絡を頼んだりしたほか、丙川の会社に電気工事の仕事を世話している千代田電気に電話をかけたり、丙川の自宅を訪れ丙川の妻に話をするなどした。その後丙川の所に千代田電気から「変な電話があった」などという連絡が入ったりしたことから、丙川は、被告人らに直接会って直請け話を完全に断ろうと考えた。

10 丙川は、同月一七日午後一一時ころあるいは翌一八日午前一〇時ないし一一時ころ、名古屋市内から山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺一一五三番地の二所在のオウム真理教施設第五サティアンに電話をかけて被告人と話をし、積水ハウスの直請けの話を断りたい旨伝えた。その際、被告人は丙川に対し、捜していたことや千代田電気の方にも電話したことを伝え、また、どちらが言い出したかはともかく、直請けの話を終わらす前提のもとに、丙川が二〇万円くらいを出すことになった。その後被告人は、丁野に連絡を取り、足代くらい出すなどと言って誘い、結局同月一九日夕方静岡駅で待ち合わせたうえ、被告人、丙川及び丁野は一緒に会うことになった。

11 被告人は、同月一九日午後六時ころ三郎を伴って静岡駅へ行き、改札口で会った丁野と居酒屋に入って三人で食事をした。この時被告人と丁野の間では、丙川が持ってくる予定の金の一部を被告人がオウム真理教へのお布施として受け取る話が出ていた。丙川は、同日午後七時過ぎころ静岡駅改札口で三郎の出迎えを受け、その後被告人ら四人は、静岡市黒金町五六番地所在のホテルアソシア静岡ターミナル二階喫茶店「ちくめい」に入った。被告人は、いったん店内に入った後、丙川を促して一緒に店外に出た。丙川は、店外で現金二〇万円の入った封筒を被告人に渡したところ、被告人は中身を確認して、中から現金八万円を抜き取った(なお、丙川は被告人より先に店内に入ったため、被告人が封筒の中身を確認したのは見ていたものの、現金を抜いたのは見ていなかった。)。そして、被告人は店内に戻り、現金一二万円入りの封筒を丁野に渡した。被告人らは、世間話や被告人の子供のこと、積水ハウスの件などの話をして一時間半ほどで同店を出た。被告人は、「ちくめい」での費用を支払って、オウム真理教の名前で領収書を受け取り、また、帰り際に静岡駅で丙川に土産としてわさび漬けを持たせた。

12 11の数日後被告人は、丙川に名古屋市内のC土地という不動産会社の東社長を紹介する旨伝えて、待ち合わせの約束をしたが、結局丙川が待ち合わせ場所を間違えたため会えなかった。そして、その翌日の朝被告人は、丙川の自宅へ行ってなぜ来なかったのかと尋ねたところ、丙川はいつになく強い口調で被告人に反論したりした。

一方、被告人は、丙川から受け取ったうちの八万円を教団所有の刀の研ぎ代等に消費した。

13 丙川は、平成七年三月終わりころ本件について警察から連絡を受けたことから、同年四月初めころ被害届を警察に提出した。

などの事実が疑いを容れる余地なく肯認できる。

ところで、丁野は、本件の発端から金員の授受に至るまで深く関与しているが、その公判供述と検察官調書(甲四一)の供述では重大な点で大きな食い違いをみせている。しかも、丁野は、公判廷では「検察官は荒っぽい言葉であり、取調べはかなりきつかった。一言で言えば主張を聞いてくれなかった。長時間の取調べで疲れ、最後は面倒くさくなって署名押印した。法廷で宣誓したうえで真実を話せばいいと思った」などと供述していながら、被告人や丙川らの述べる前記のような客観的な事実とも齟齬する部分も多く、丁野の公判供述は右客観的事実に抵触する部分についての信用性は乏しい。

一方、丁野の検察官調書においては、丁野は、被告人との関係、本件にかかわった経緯、実際に丙川から被告人を介した形で一二万円を受け取っていること、当初は被告人との共犯関係を疑われていたことなどに照らすと、その供述録取にあたり、被告人との関係、自己の関与の程度など、被告人との共犯関係を窺わせる事実について、丁野が自己の罪責を免れるため、被告人に責任を転嫁する形で検察官の誘導に迎合的になり供述を録取された疑いも残るとはいえ、丁野が丙川と一致する供述をしている部分についてはその信用性をむしろ肯定することができるというべきである。

三  争点

本件で恐喝罪が成立するかどうかは、まさに被告人が前記二10認定のとおり丙川と電話で話をした際、丙川が二〇万円くらいを出すことになるにあたり、被告人が丙川に対し金員を要求し、同人を脅迫したか否か、言い換えると、被告人に金員喝取の意思及び丙川を畏怖させる行為があったか否かにかかっていることである。

この点、丙川の公判供述中には、被告人から脅迫を加えられて金員を要求され、怖くて被告人に二〇万円を交付した趣旨の供述が存在する。そこで、丙川に畏怖する状況があったか否か、すなわち、被告人から丙川が二〇万円を支払うことについて強制する力が働き、丙川が被告人の要求に畏怖して従ったといえるか否か、また、被告人が丙川から金員を喝取する意思で同人を脅迫したか否かなどについて、以下検討を加える。

四  争点についての検討

1 被告人と丙川間の電話での会話内容等

平成六年一一月一七日あるいは翌一八日(日時の点はともかく)に、被告人と丙川との間で電話を通して話がなされたことは前提事実のとおりである。しかし、その内容については両者の間で必ずしも符合していない。右電話をかけるに至った経緯や電話でのやり取り等が恐喝行為の成否にも関連してくるので、それぞれの供述内容をみると、その要旨は次のとおりである。

まず、丙川は、公判廷において、「被告人から電話がよくかかってくるし、朝喫茶店へヘッドギアで来たりしたので、一一月十二、三日ころから被告人を避けるようになり、携帯電話の電源を切り、朝喫茶店に行かなくなった。被告人は会社の従業員に居場所を聞いたり、千代田電気に電話するなどした。そのことで千代田電気から電話があり、『変な電話があった。心配している』などと言っていたが、変な電話の内容は聞かなかった。更に、一六日被告人が留守中に自宅にも来たことから、会って直接話ししなくてはいけないと思った。仕事の件もみんな断って、被告人との付き合いもやめるつもりだった。一七日午後一一時ころ、自宅から少し離れた名古屋市下水道局守山下水処理場放流渠庄内川左岸堤防道路上まで車で行き、その車内から携帯電話で上九一色村のオウム真理教施設の被告人へ電話をした。被告人は電話に出ると、『ばかやろう。たわけ。お前を捜すのに大変だった。千代田にも電話した。迷惑がいくよ』などと言ったので、千代田に知られたら仕事がこないようになると思った。次に被告人に『積水の話はどうするんだ』と言われ、『看板も金もないから積水の仕事の話は止めます』と言うと、被告人から普通の会話よりもちょっときつい口調で『何でこんなええ話断るんだ。このままで済まんぞ』などと言われたので、怖くなった。更に、被告人が『お金はできるか』と言ったので、とっさに『二〇万くらいならできます』と言うと、被告人は『それでいい』というようなことを言った。そのお金で仕事の話も被告人との付き合いも止めたいという気持ちだった。二〇万と言ったのは、すぐできる金額であったことと、五万、一〇万じゃ被告人が納得してくれないと思ったからだ。被告人や丁野に金を払う必要はないと思っていた。それから三人で会うため自分が静岡に行くことになった」などと供述している。

これに対し、被告人は、捜査公判を通じての供述において、「丁野から『総会屋の大物とばったり会ったんで丙川と連絡を取ろうとしたが取れない』という電話があった。そこで丙川に電話したり、朝喫茶店へ行き従業員に尋ねたりしたが連絡が取れないので千代田電気に電話し、『丙川と連絡を取りたいが方法はないか。お宅も困ることあるといかんし、私も困っているのでなんとか伝言してくれませんか』などと言った。更に、丙川の自宅へも行ったところ、奥さんも『丙川から連絡がない』と言っていた。一八日の午前一〇時か一一時ころ丙川から第五サティアンに電話があった。教団の電話では周りに人がいることもあり乱暴な言葉は使えない。電話で丙川に、『仕事頼んで何日もうちへ帰らない。連絡取れないでは駄目じゃないか。捜すのに苦労して千代田まで尋ねた。丁野が相談したがっているがどうする』と言うと、丙川は、『金もできないし、鑑札の申請もしていないし、これ以上迷惑かけてもいかんから、丁野に会ってお詫びしてきちんと止めたい』と言った。『だから止めておけばよかったんだ。丁野にはきちんとしなければいかんぞ』と言うと、丙川は『足代やそういう金を払うので止めたい。今ここに二〇万くらいあるから、それで丁野に話してくれんだろうか』などと言うので、『そんなことしたら心苦しいだろう。中に入った俺がいい気持ちしないから』などと言った。結局丁野に電話をし、会う日にちと場所を決めて再び丙川の自宅に電話した」などと供述している。

右の丙川と被告人の供述においては、<1>被告人が丙川のことを捜しており、千代田電気に電話したこと、<2>被告人が積水ハウスの直請けの話について丙川に問いただしたこと、<3>丙川は金と看板(許可証)がないので積水ハウスの直請けの話は止めたい旨言ったこと、<4>丙川が二〇万円くらいという具体的な金額を出したこと、<5>一一月一九日に静岡駅で会う約束をしたことが一致している。

他方、丙川と被告人の供述が食い違っている重要な点としては、<1>電話の日時、<2>被告人が丙川から電話を受けるや、「ばかやろう。たわけ」「迷惑がいくよ」などと言ったか否か、<3>被告人の方から「お金はできるか」という申し出をしたのか、それとも丙川の方から金の話を持ち出したか否か、<4>被告人は金の話を断ったか否かなどである。

また、丙川の供述を前提とすれば、丙川としては、千代田電気に直請けの話が知られることや被告人に暴行を受けるのではないかなどと考えたというのであり、更に、被告人や丁野に金を払う必要はないと思っていたというのである。

しかし、二人が直請けの件を強く気にかけ、丙川においては止める方向で解決を図ろうとし、一方被告人においては丁野に依頼していたことから同人との関係を意識し、同人に納得してもらえる形で解決を図ろうとしていたことも、二人の供述から窺うことができる。

2 電話で話をした当時の被告人の心情等

前記の前提事実によれば、<1>被告人は、一一月一〇日に「だるま」で丙川、丁野と会った後、丙川と連絡が取れない状態が続いたこと、<2>被告人は、丙川と連絡を取るために様々な方法を講じていたこと、<3>被告人が連絡を取れない原因は、丙川が携帯電話の電源を切るなどして被告人を避けていたためであることが認められ、このような経緯からすると、被告人としては、連絡の取れなくなった丙川に腹立ちの気持ちを抱き、電話がかかってきた機会に、丙川に対し、具体的な言葉はともかく、ある程度強い言葉遣いになったであろうことは合理的に推認できる。そして、被告人としては、丙川から直請けの話を持ちかけられていたのに、丙川との連絡が取れず、丁野に依頼していた手前、丁野との話の納め方として丙川に金員を出させる形で、金銭的解決を図ろうと考えることは、被告人の置かれた立場からすれば、十分推認可能なことである。

3 電話で話をした当時の丙川の心情等

前記の前提事実によれば、<1>丙川は積水ハウスの直請けになれば倍以上儲かるなどと言って話を持ち出し、この話を聞いた被告人が丙川を丁野に紹介し、三人で会った際に丙川自身も丁野に仲介の労を取ってほしい旨依頼したこと、<2>にもかかわらず、丙川は、最初から丁野に用意するように言われていた決算書等の書類を、元々会社で帳簿類を付けていなかったため準備することができず、直請けとなるために当然の前提となる許可証も有していなかったこと、<3>丙川は一一月一〇日に被告人、丁野らと食事をした際、丁野に対し、直請けの話を断るつもりであったのに、話の流れなどから結局断ることができなかったこと、<4>丙川は、被告人が自分を捜していることを知っていたのに、連絡を取らなかったことなどの事実が認められ、これらの事実からすれば、丙川は、被告人に電話をかけるに際して、積水ハウスの直請けの話をどのように切り出すか思案し、またその話をどのように断るかについても相当心を痛めていたであろうことが窺われ、結局、断る決断がつかず、あいまいな部分を残しながら電話したものと推認され、また、当然のことながら同時に、被告人らに依頼しておきながら、何の前触れもなしに電話でこれを断ることに申し訳なさを感じ、何らかの形で円満な解決を望んでいたであろうことも合理的なこととして推認できるが、金を支払って解決するということについては、そこまで明確に決断のうえ電話したともいえず、成り行きから金を支払う旨申し出たと考えるのがむしろ合理的と思われる。してみると、丙川の二〇万円の支払については被告人からの力が加わった結果であることが一応推認できる。

しかし他方、丙川は被告人に直請けの話を持ちかけ、更に被告人が丁野にその話を依頼していたことも事実であったから、丙川が一方的にその話を打ち切りにすれば問題がすべて解決するというのも常識に反することと思われる。

4 直請けの話の実現可能性及び諸経費の負担について

前記の前提事実によれば、被告人、丙川及び丁野の間では、直請けの話をするには費用がかかること、成功した場合には被告人及び丁野にお礼を支払うこと(具体的な金額については被告人と丙川との間に争いがあるが、支払う話があったことについては一致している。)については合意があったものと認められるが、直請けの話が失敗した場合のことについては、被告人及び丁野はその話があったと述べているものの、丙川はその話が出ていなかったと供述している。しかしながら、丙川の供述によれば、被告人、丁野に直請けの話を依頼したものの、具体的にどのような方法で行うのかはっきりとしたことは知らされていないのであり、これに丙川の会社の事業規模と積水ハウスの事業規模の違い、丙川の会社では電気工事の下請けをするのに必要な許可証もなく、帳簿類も全く付けていなかったことなどを合わせて考えれば、現実に直請けの話が実現する可能性については客観的に考えて相当な困難があったものと考えざるを得ない。しかし、あえてこのような依頼を丙川が行い、かつ何度かにわたって被告人や丁野に会って必要書類などにつきある程度具体的な話をするまで直請け話を進展させたという本件の事情に鑑みると、直請け話が実現しなかったとしても、経費や費用などを依頼者である丙川側が負担するのは社会通念に照らしてむしろ当然のことといえるから、失敗した場合の費用負担について正式な契約や明示の合意がなかったとしても、当事者間では支払うべき筋合いのものと相互に了解し合っていたものと合理的に推認できる。

ところで、丙川は、公判廷において、「店が売れて金も用意できたし、会社の従業員の名義で県の許可証を取る方法もあったのに、被告人と丁野に直請けの話を断ることにしたのは、丁野に対する不信感からであって、被告人らに金や看板(許可証)が用意できないので止めると言ったのは口実であった」と供述しているところ、確かに関係証拠に照らしても丁野が具体的にどのような行動をとり、直請けの話を進めていたのかについては証拠上明らかではなく、丙川が主観的に右のような感情を持つことも十分考えられるところではある。しかしながら、本来直請けの話を依頼する前に準備すべき許可証がないことや数年間にわたり帳簿類を付けておらず、正確な決算書の作成が不可能であることなどからすると、外形的な事情からは丙川が自己の一方的な理由だけで直請け話を断らざるを得ない状況にあったとみるほかないから、丙川が一方的に直請けの話を断ることができる正当な理由はなかったといわざるを得ない。そしてこの点は、丙川が二〇万円を支払ったことが直請け話の解消を目的とした行為であったことを推知させる事情でもある。したがって、成り行きとはいえ、結局金を払わなければならないということについては、丙川も受忍せざるを得ない立場にあったというべきである。

5 被告人が述べたという文言の検討

まず、「ばかやろう。たわけ」の点であるが、丙川が自分の都合で直請けの話を断らざるを得ない状況にありながら、明確に断るでもなく、続けるということでもなく、あいまいな態度に終始し、しかも自分から連絡を断っていた状況下にあっては、従来の被告人と丙川との関係を考えると、被告人が多少の悪口雑言を吐いたとしても、それが即脅迫文言と考えることは相当ではない。

次に、「迷惑がいくよ」の点であるが、被告人が丙川の元請け業者である千代田電気に電話したことと関連して考えると、一種の脅しとも受け取れるが、実際被告人は千代田電気に電話して丙川を捜していたのであって、その事実を丙川に伝えたにすぎないとも考えられるから、そのことだけで脅迫文言とみるのも相当とは思われない。

また、「お金はできるか」の点であるが、被告人は丙川から直請けの話を持ちかけられたことから、丙川を丁野に紹介したのであるから、丁野に対する立場もあって、解決策の一つとして金の件を言ったからとしても、必ずしも恐喝に結び付くものではないというべきである。

以上からすると、丙川が「怖かった」と述べるのも、圧迫感や困惑を表現したものとして肯認できるものの、そのことが畏怖の念まで意味するといえるか疑問である。

6 丙川が二〇万円を支払った理由について

丙川は、被告人らに二〇万円を支払う理由として、「だるま」での二回目の会見の時に前記のとおり看板が用意できないなどと述べて、暗に直請け話を断ろうとしたが断り切れず、被告人との電話を契機にして、「それでもって、仕事の話も何もかも、被告人との付き合いもやめるもりでそういう金額を出した」旨供述しているが、その一方で丙川は、「『ちくめい』では世間話をした。積水の話も出たけど、お前が逃げるでいかんとか、お前が悪いんだとか被告人に言われた」などと供述しており、本来の目的とされる積水ハウスの話や被告人との今後のことなどについてはほとんど触れられていないことが認められ、その他の証拠によっても「ちくめい」において、被告人が丙川から受け取った現金を丁野に渡した以後は、積水ハウスの直請け話に関する話はほとんど出ていない状況であることからすれば、丙川が支払った二〇万円については、積水ハウスの直請け話を終わらせるためのいわば解決金的な意味合いを有していたと考えることができる。

確かに、関係証拠によれば、丁野の具体的行動は必ずしも明らかではなく、仲介のためにかかった必要経費についても全く不明であるうえ、二〇万円を支払った段階においては何一つ丙川の利益になってはいなかったことが認められる。しかし、通常の経済活動において、依頼者が自己の一方的な都合のみで相手方に対してその依頼を断る場合、特に相手方との間で経費や成功報酬についての具体的な話がある場合であればなおさらのこと、解決金等の名目の金員を支払うことにより円満に依頼関係の解消を図るのは決して異例のことではなく、むしろ日常的に行われていることだと考えられる。また、積水ハウスの直請け話が成功した場合に丙川、被告人及び丁野が得る予定の利益の額及び丙川の経済状態からすると、丙川が被告人らに支払った現金の二〇万円という金額は、一方的な理由により断った丙川が解決金という名目で支払う金額としては特段高額であるとまではいえない。

そうだとすれば、前記二〇万円の支払は被告人との電話のやりとりを契機として行われたものであり、その間の言葉について丙川の供述するようなものであったということを前提としても、電話のやりとりの中で、丙川が直請け話を断りたい旨被告人に告げたことから、被告人が丁野を紹介し、直請け話をある程度まで進行させた手前、解決金として相当な額を丙川に支払わせて直請け話を解消させるのが最も手っ取り早い手段であると考えて、その旨丙川に示唆し、その結果丙川がそれに応じて二〇万円を支払ったという可能性も否定できないところである。もっとも被告人は、丙川の差し出した二〇万円のうち八万円を予め抜いたうえ、残金一二万円を丁野に渡しているが、この点については被告人と丁野が「ちくめい」に行く直前の居酒屋で、丙川から受け取る予定の金の中から被告人が「お布施」を貰うということで事前の相談がついていたことであること、「お布施」については本件直請け話の出た当初から被告人が一定の額を受領する約束になっていたこと等に照らすと、二〇万円が解決金であるという性格と矛盾するものとはいえない(丁野は、検察官調書(甲四一)の中で「丙川から足代などを請求できるほどのことはしておらず、甲野もそのことは十分承知していた」旨述べているが、本件の二〇万円が丁野の経費や工作資金という性格のものではなく、丙川からの解決金だと考えれば矛盾しない。)。

また、丁野は、公判供述や検察官調書の供述において、被告人から現金の入った封筒を受け取る際、「丙川さんからもらうわけにはいかんが太郎からなのでもらっておく」と言いながら封筒ごとすぐに鞄の中へしまった旨述べている(丙川の公判供述も同趣旨)。この供述は、丁野が、丙川から被告人に現金が渡された経緯やその授受の正当性について疑念を持ったことを窺わせるものではある。しかし、丁野としては、丙川から交付される金員について被告人から単に足代と聞いていたにすぎなかったところ、被告人がある程度の金額の入っていると思われる封筒を差し出したため、自分が当日名古屋から東京へ戻る途中に静岡に立ち寄っただけで、また、それまで丙川に経費等を要求できるほどの仕事をしていなかった引け目の気持ちから、右のような発言となったとも考えられないわけではない。そうすると、この言葉のやり取りをもって、被告人に丙川を畏怖させる行為があったとする徴憑とすることはできない。

7 被告人と丙川のその後の関係

前記の前提事実によれば、<1>被告人は、「ちくめい」で現金の交付を受けた数日後、再び丙川の仕事関係の便宜を図るため不動産会社社長を紹介しようとし、三名で待ち合わせまでしたこと、<2>結局<1>の話は流れたが、被告人が待ち合わせ場所に現れなかった丙川に理由を尋ねようと自宅を訪ねたところ、丙川は珍しくきつい調子で被告人に反論したりしたこと、<3>被告人の長男二郎は平成七年一月ころまで丙川の会社でアルバイトをしていたこと、<4>丙川は、被告人と丁野に金員を交付した約四か月後に警察に本件の被害届を提出するに至ったことなどの事実が明らかであり、二〇万円の授受後においても、被告人と丙川の従来の関係に特段の変化が生じたとは窺われない。そしてこれらの事情は、被告人の電話により丙川が畏怖して二〇万円の支払に応じたとする丙川供述の前提に疑いを差し挟むものであり、かつ、被告人が丙川に対し仕事を妨害する意図若しくは言辞を発したことに疑念を抱かせる事情でもある。

8 まとめ

以上によれば、丙川と被告人の電話において、右電話に至る経緯などから被告人の言辞が丙川の気持ちを一層困惑させ、そのため丙川は直請けの話を終わらせるために、金銭による解決策を持ち出したものと認められる。しかし、前記のような事実関係においては、丙川としても、一方的にその話を打ち切りにすればすべて問題が解決すると考えていたわけでないことも明らかであり、三人の間でできるだけ円満に解決できればと願っていたことも当然のこととして肯認できる。そうすると、丁野を含めた直請けの話の納め方として、社会通念上金銭的な解決を図ることが、丙川が被告人に直請けの話を持ちかけ、更に被告人が丁野にその話を依頼した経緯から考えて、被告人や丁野の立場ばかりでなく、丙川の置かれた客観的な立場に照らしても、お互いに了解し合っていたことと合理的に推認できるものというべきである。したがって、被告人の電話での言葉が、丙川を心理的に困惑させるものであったにせよ、被告人の言辞に人を畏怖させる害悪の告知があって、そのために丙川が二〇万円の支払をせざるを得ない状況に立ち至ったとは到底認められず、結局、被告人が丙川から金員を喝取する意思で同人を脅迫した点については、合理的な疑いを容れない程度に証明があるとすることはできない。

第三  結論

以上の次第で、本件公訴事実中恐喝の点については犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官 佐藤學 裁判官 田邊三保子 裁判官 竹下雄)

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